加奈子メモリアル手記 愛の一雫

大湾由美子/加奈子 著

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第4章

支え合ったお友達

二 支え合ったお友達


青春をにぎやかに、派手やかに、彩ったお友達……

「高校の頃に、本当の友達という財産を作ってね。」
加奈子が高校を選択する時、私は加奈子にこんな話をしました。

「母さんは人付き合いが悪かったから、ずーっと付き合っていられる友達は少なかったけど、でもね、青春時代の友達って勉強よりも大切と思うよ。
家から直ぐにとんでいける距離に友達がいる事が大事じゃないかな。」

「たくさんの人と付き合って後に、親友を一人、この人ならばと思う人ができるよ。」

と近くの高校を選択するように進めました。

「陸上がやりたいから。」と、遠距離の高校を選択しようとしていたのですが……。

私たちの選択は正解だったと、今思います。

高校で仲良しの八人グループができました。
みんな美しく可愛らしいお嬢さんたちです。

「母さん、かー達のグループってさ、みんな美人だよ、その中にかーがいてもいいのかなって思う事あるよ。」
と言ったこともあります。

「加奈ちゃんも十分美人だよ、むしろ八人の中で加奈ちゃんが一番じゃないの。」
身びいきで私が言いますと、

「母さんはね、そう思うんだよね。でもさ、みんな彼氏いるけど、かーだけいないさ。」

「大丈夫よ、加奈ちゃんがあんまり可愛いから手が出ないのよ。
彼氏なんてね、不思議なご縁なのよ、美しさで決まるのじゃないと思うよ。
そうだったらブスはみんな結婚できないことになるよ。」

などとたわいのない会話をしたことがあります。

加奈子が誇りに思うほど、美しい元気なお嬢ちゃん達が、にぎやかに青春を楽しんでいる様子が、日常の会話でよく分かりました。

友人達は、殆どが「やぎ座」とか、みんなで順番に誕生会をしていて、
最後の日が加奈子だったそうで、加奈子が去った年もその翌年もケーキを買ってきて、
加奈子がそこにいるかのように、

「加奈ちゃん、食べるよ。」

とにぎやかに誕生会をしてくれました。

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第4章

美響院加容妙薫大姉

一 美響院加容妙薫大姉 ― 名前を下さった「水戸・別格本山寳藏寺、島津照明住職様」

島津様は加奈子の足長おじさんであり、人生の師でもありました。

高校生の時、母の幼稚園教育の師である「松丸礼子先生(茨城県在住― 後述させていただきます)」のご紹介によりお会いし、「和尚の人生哲学が好き―」などとお慕いしておりました。

島津様は高僧であられるにも係わらず、宗教を超えてまるでお友達のように加奈子と接して下さり、加奈子の入院中は、遠路わざわざ三度もお見舞いにきて下さいました。

「直ったら、ディズニーヘつれていってやるよ。」と一度目の入院の後に、実現して下さったり、

「大学受かったら水戸へ来い、又、一緒にディズニーヘ行こう。」と、さらに思い出を作って下さいました。

そして、結局、加奈子の旅立ちを見送って下さったのです。

ご縁とは、不思議なものだと、つくづく思います。

島津住職様より、加奈子の旅立ちに頂いた「美響院加容妙薫大姉」は、加奈子という一人の人物を通して、響き合い繋がりあう人々が出会った事、更にこれからも広がっていくのだと、加奈子の生き方そのものを表現して下さっているように思われます。

事実、加奈子が去った今も、加奈子を慕ってくれるお友達は輪を広げ、何かと訪ねて下さったり、お手紙を頂いたりして、私達両親を癒して下さいます。

「美響院加容妙薫大姉」

まさに、加奈子にふさわしい名前を賜ったものと感無量です。

そして、青少年の指導にもあたられている住職は、今でも加奈子の生き方を皆さんの指導に生かされているとか……
だから「『美響院』なんだ」と語られています。

加奈子がこれからも皆さんのお役に立てる事を、本人が一番喜ぶと思います。




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第4章

第4章

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加奈ちゃんは不思議な人だと、今改めて思います。
僅か二〇年足らずの人生だったのに、たくさんの人々と知り合い、可愛がって頂いたり、友達と支え合っていたようです。

加奈子の葬儀の際は、大勢の方が焼香にいらして下さって、本当にびっくりし、感動いたしました。
加奈子は友達大好き、いとこ達大好きでした。

加奈子が自分史を書こうとした文章に、こんなことが書かれています。



私、大湾加奈子は一九八二年一月七日に、この地上へ降りてきました。

―中略―

とにかく五体満足の人間の赤ん坊として、生まれたのです。
父や母は私が最初で最後の子だったので大喜びだったそうです。
親戚やいとこたちも年の離れた小さな女の子を喜んで、自分たちの中へ招き入れてくれました。

―後略―



本人が語っているように、加奈子は両親は勿論、祖母、伯父、伯母、いとこ、親戚等々、肉親、知人、友人の愛情を一身に受けて成長しました。

幼い頃は祖母を中心に伯父の一家総動員で、又、近所に住み「塩川のおじちゃん、おばちゃん」と加奈子が慕い、加奈子を愛し、成長を共にみつめ育てて下さった家族がありました。

成長の過程で、様々な方が係わってくださいました。
日舞のお稽古を始めてからは “人生最初の師” である「若柳賀寿乃師匠」との出会いがありました。

幼稚園、小学校の頃はたくさん友達を作り、生活も豊かに広がっていったものです。

加奈子の出会った人々へ、

「私を愛で支えて下さった方々への感謝の証として、このような形でお礼を言うことにしました」
(前述の加奈子の自分史より)




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第三章

mommy

mommy

神様、もし、私が死んでしまったら、

お母さんのお庭の片隅に咲く花にしてください。

そうすれば、朝と夕 お母さんの笑顔をみれますから

愛情の込められたジョウロの水を体いっぱいに吸い、

太陽に向かってスクスクと花を咲かせましよう。

お母さんが悲しんで涙を流しているときには、

私も一緒に泣けますから。


どうか、神様

もし、私が死んでしまったら、
お母さんのお庭の片隅に咲く花にしてください。

たとえ、花が枯れて落ちてしまっても種となり

お母さんに新しい喜びを与えられますから

お母さんの優しい歌声を聞きながら

夜空の星の下で夢を見て、可憐な花を咲かせましよう。


ですから神様、もし、私が死んでしまったら……

お母さんのお庭の片隅に咲く花にしてくださいね。




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第三章

沖縄国際大学へAO方式で合格が決まり、レポートの課題が課せられました。
いくつかの文学作品を読み、感想を書くことでした。

ベッドの上で提出の準備をして、課題図書を読み進めていました。
その中の一つ「金閣寺」(三島由起夫)のメモ書きを
(本人は推敲をしてないのできっと不本意かもしれませんが……)
ここに掲載して、入学準備を進めていた加奈子の取り組みを立証しておきたいと思います。




「金閣寺」 三島由起夫

彼は孤独であった、そしてどもりであり、認められたかった。
日本が、世界がその美を認めている金閣のように。

彼の心には金閣がいつのまにか、住みつき、彼を離さなかった。
美の基本特権である身勝手さ、わがままさ、彼自身もそれを喜んだ。

いつの時代にも悩みある若者は憧れる「美」「完璧」「死」
やがて死に向かい、本来の自分を忘れ、理想とする自分。
選ばれたもの、美と共に死に向かい、成立する完璧。

おそらく何不自由ない平凡とした人々は、
たとえ、自分に欠点があったとしても、それをよい点として認めたり、隠したりし、
それなりに受け入れ納得するであろう。

彼は孤独だったのだ。誰も彼を受け入れない。
ましてや彼自身も他を受け入れようとしなかった。

どもりが彼をそうさせたのか? それとも金閣がか?
なんにせよ、彼は自分自身を只の石ころなどではなく、
ダイヤだと皆に知らせたかったのだ。

そして、あの美の象徴たる金閣を自分の懐に抱きたかったのだ。

だが、やはり彼は平凡な人間でしかなかった。
死の淵に立ってはみたものの行為だけで納得したのだ。
彼はその行為自体に意味があるとした。

彼は、私からしてみればやはり平凡な人間だったのだ。
生きる勇気もなければ死ぬ勇気もない結果が
完璧でない行為しかできなかったのだ。

彼は自分が皆と変わらぬ肉体を持った小さな生き物であり、
どもりであることを根幹に不満をため、世の中にあてつけたとして、
ただの阿呆だとしてしか世間には知られなかったのではないか?

結果を完璧とできない行為はこの場合、無に等しいのではないだろうか。
やはり、彼は死ぬべきだったと思う。
彼は自己顕示欲の強い只の人間だったのだ。

私はこの最後のページを読み終わった時、
人間という生き物の匂いを心底体にしみつけた気がした。
彼は金閣を考え、思うことにより金閣を自分の腕に抱いていた。




二月頃病院のベツドで、入学式までに準備したいと書いていたように思います。

もう一冊は目取真俊著『水滴』ですが、まだほんの書き始めた所でした。

加奈子は自分自身と向き合う手段で文章を書いていたのでしょうが、私達残された者にとって何物にも代え難い、まさに宝物です。

一つたりともなくさないように保存したいと思っています。



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第三章

高校を卒業

高校を卒業し、塾に通い、新しい生活に懸命に挑戦していく加奈子を見るのは眩しくて、私達身内のものにとって、誇りにさえ思えました。

幾多の病苦を乗り越え、大学に向かって、一歩、一歩踏みしめていく日々、そして大学合格が決まるや否や、自動車の運転免許への挑戦、これも又、自分で
「も―も(塾でできた新しいお友達)のお家の近くだと、時間待ちさせて貰えるから。」
と、塾と自動車教習所が往復できる場所を選択、申し込んできました。

そして一ヶ月足らずですべて通過。運転免許を獲得すると、父親、山川の伯父とうち揃って車選び。

本人の希望で、当時売り出し中のトヨタの「ヴィッツ」を購入する事ができました。


そして次なる願い、映画館でのアルバイトも、「ミハマ7プレツクス」で、面接を受け、さっさと決めてきました。

なんとめまぐるしい事と思いましたが、病院に寝ていた分を取り戻そうという事や

「一日、一日充実した生活」をするのだという、強い意志が彼女を動かしていたようです。

そんな中で加奈子の「足長おじさん」水戸賓蔵寺の島津照明氏の「大学受かったら水戸においで。」のお誘いを実行すべく、出かけていきました。

神奈川のいとこの家から水戸、そして東京ディズニーランドヘの旅。

「ゆっくりしたいけど、帰ってからバイトがあるから。」と三泊四日の旅に出かけました。

その時も、自分だけ楽しい思いすることを気にして私達に手紙を書いていってくれました。




お父さん。お母さん
いってきま―す。
体には十分に気をつけるからね。
二十六日まで、楽しんできます。

お父さんとお母さんもカゼをひかないでね。
ハッピークリスマスを過ごしてよ。
二人でイルミネーションでも見に行って。

毎日、夜電話するからね。
ニ十六日なんて、あっという間にくるよ。
さみしがらないでね。

じゃ、行ってきま―す。

I love you.

大湾加奈子

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第三章


「夢」

不思議な夢をみた。

月へ腰掛け、遥かに広がる銀河の中で

地球にウインクした。

夢から覚めて、そっと窓を開ければ

遠くに犬の声、

こんな夜は私というものが

特別な存在に思えて

優しく瞬く星達と、月に変わらぬ

誠実を誓う。


「あこがれ」「希望」「地球」

宇宙の伝言板に誰が書いたか忘れられた文字

今日も月の光は、遥かに広がる銀河の中で。




私はこのごろ空を見上げる事が癖になりました。
昼の空は雲の合間から、加奈子が手を振っているようです。

虹がみえると加奈子が両手を広げて「か―さ―ん」と呼んでいるように思います。

明るい月の夜には加奈子が月に腰掛け「ウインク」しています。

美しい空はずーっと私を励ましてくれます。

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第三章

「虹」

わけもわからないのに
この胸が、ただ、ただ、熱くなる

苦しいはずの時にさえ
そのオーラは私を強く守る。

雨上がり虹がでて、
その下を歩く、
どこまで行っても見あたらない幸せ

虹を心の中で強く握りしめ歩き出す。
幸せの虹を抱きしめて。


「ひまわり」

いつも、太陽に向かってまっすぐに生きるこの花は
威風堂々としています。

たとえ、雨にさらされても同じです。
雨は必ず、やむことをこの花はしっているのです。
(人間は時々、そんな事を忘れてしまいます。)

時を止めたくなるような昼下がり、
この花をみると
私はとても切なくなります。


「私はそんなに強くはありません」


私はそんなに強くはありません。

いいえ、むしろ弱いのです。

だから、あの美しいバラの花が棘をもっているように、
私も強いふりをしているのです。

……バラの棘は相手を傷つける意地悪な棘でなく
自分を守る為の
……弱い者の唯一の武器と思うのです。




加奈子はいつも前向きでした。
明るく、笑顔が私達周りの者を楽しくさせてくれました。

でも、心の中の葛藤はこのノートの中にしまわれていました。
全部をここに綴る事は今、私にはできません。
いつか加奈子の許しを得てからにします。




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第三章

一冊の黒表紙のノート

一冊の黒表紙のノートがあります。

最後まで心模様を織り込んだノートです。

いとこのあ―ちゃん(睦子さん)が、お見舞いにくれたノートで、冒頭には病気と闘って欲しい、との願いを込めたイラスト入りの文章が書かれ、加奈子を楽しませ、励ましてくれました。

そのノートに加奈子は自分の思いを書き綴っていきました。

加奈子につきそい、 一緒に病気と闘っているつもりの私がともすれば弱気になりそうな時、逆に励ましてくれた加奈子の心内はこのノートに
詰まっているようです。

七 病魔との闘いの中でも文章を綴って

(加奈子のノートより)

彼女は私に言いました。

「どんなに探しても、神様がみつからない。」

夏の昼下がり、ふと空を見上げると雲の陰に天使が笑った様な気がしました。




「神様っているのかしら。」病院という閉ざされた生活を余儀なくされている娘を不憫に思い、私が不覚にも漏らしてしまった時、加奈子はこのような回答をしていたのでしょう。自分を励ましつつ。

本当に「一番悔しくて納得がいかないのは加奈子自身。」(加奈子のいとこの紀一郎さんの弁)なのに一番分かっている筈の私が愚痴を言うのです。



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第三章

Dear お母さん

Dear お母さん

母の日の手紙をなくしてしまったようなので、改めて書いてみたいと思います。

いつも仕事が大変なようですね。私は働いているお母さんが大好きです。
私も将来、お母さんのようにバリバリと仕事をこなす人になりたいです。

でも、体にはくれぐれも気をつけてください。とても心配です。
肉体は魂のただの器かもしれないけど、この世に私たちが存在している限り、とても大切なものだし、無理はダメです。

疲れたら休みましよう。
時間がないといってたら、神様が強制的に休みをつくってしまうかもしれないよ。

私はこの頃、こう考えるようになりました。
先の心配をするよりも、今の一瞬、一瞬を楽しもうって。

楽しむといってもそれは、充実させるっていうことです。
沖国(沖縄国際大学)という目標は定まったんだから、それに向かい今日を楽しむ。

目のことを誰がなんと言おうとかまわない。
私には私の大切な人たちの愛が左目には見える。

時には冗談やいらだちでお母さんを責め立てたことを許してくださいね。

私の悪い所は考え過ぎる事です。
今からはいい意味でゆとりを心に持って頑張りたいです。
だから、気持ち的にも仕事的にもゆとりをもっていきましよう。

一度にたくさん、消化しようとするなんて大変だから、
今日は今日の分の消化を目的として頑張りましよう。
でも、それは決して妥協ではなく、ベストを尽くすという事。

これからも応援よろしくです。

お父さんと加奈子にとってお母さんはとても大切。
大切すぎてそれは、たまに見えなくなってしまうけれど、これだけは忘れないで下さいね。

今日、久しぶりに家を掃除しながら、この家を見ていると、とてもステキな家だなと、思いました。
私は今、とても幸せです。
お母さんも幸せだといいな。もちろん、お父さんもね。

それでは、明るい未来へ向かい、
感謝と二〇〇〇年の愛情を込めて。

You are the sun in family.
Thank you from Kanako.



お互い自分の心を言葉で、言い表せない時、このように手紙をやりとりするのが常の親子でした。
今、本当によかったと思います。

その時々、互いに何を考えているか文章化することで、より分かり合える事ができたし、又、年月が経つと、口頭で話し合っていた事は忘れてしまうこともあります。

こうして加奈子が残してくれた言葉の数々は、これから先、私の道標となってくれます。
時には悲しくて行き詰まり、崩れそうになっても。

現実として、僅か二〇年しか一緒に暮らさなかったけど、
これから先、夫や私を励ましてくれる大切な宝物になってくれます。
家族の絆を改めて噛みしめています。ありがとう加奈ちゃん……と。

前述しました様に、自分と向き合い成長していく加奈子の変容は、文章の中で伺い知る事ができます。

病気との闘いの間も最初の頃こそ、痛みに耐えかねて、周りの者にぶつけるような事もありましたが、高校を卒業し、塾に通うようになった頃から急速に成熟し、人の心を読みとるようになりました。

弱音を吐くと身内のものが悲しむ事を気にして、文章に表現する事で自分と向き合っていたようです。




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プロフィール
まさや
まさや
2003年に出版された「加奈子メモリアル~愛の一雫~」(大湾加奈子・大湾由美子 著)を連載、紹介しています。
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